
≪美養法≫を編み出すきっかけになったのは、昭和56年ことです。もともと看護師をしておりました関係で、病気になる人とならない人の違いはどこにあるのか普段から疑問を感じておりました。
そして、自分の子供の突然の発病をきっかけに、鍼灸・整体などの東洋医学やさまざまな民間療法・食養など手当り次第に習得しはじめ、その結果、病気になる人と病気にならない人の違いは、“体質”の違いにあることに気付きました。
東洋医学のツボ・経絡を利用した経絡測定器を片手に一軒一軒の家庭を回り、ひとりひとり体質を調べる日々がはじまりました。
延べ2万人以上の方の体質を調べる事によって、その方の弱点や将来起こりえる症状などがグラフを読むことによって理解できるようになりました。
その結果、“ほとんどの病気の根本の原因は、骨の歪みと腸内環境の悪化による≪排毒困難≫である”という結論に達しました。
そして、その根本の原因を改善する排毒ケアを施術する事で、さまざまな症状が解消されるようになり、口コミが口コミを呼び、今ではこの美養理論・技術を多くの方が理解してくださり、各地域で実践してくださっているサロンも全国各地に展開するようなりました。
現在、国際保健技療学会(会長 松本英聖先生)の協力を得ながら、“健康は自分で築く”という理念のもと、“保健技療”としてのホリスティック美養エステティシャンの養成・教育を行っております。
食生活の変化やさまざまな環境問題をかかえる現代人の私達にとって、≪排毒≫はもっとも大切な課題です。
病気の根本を解消する≪排毒≫を促すことによる健康美容づくり“美養法”を、多くの皆様に理解・実践していただき、ひとりひとり本当に喜んでもらうことがわたしの願いです。
美養法創始者 沼倉萬里枝
|
 |
看護学校卒業後、順天堂大学病院勤務。 国際保健技療学院にて東洋医学を、森下フードコンサルタントで食事改善を学ぶ。 1981年(昭和56)より、横浜を中心に延べ2万人以上を対象に経絡排毒法≪美養法≫を確立。 各地で講演活動を行なう。現在、全国に美養法サロンを展開中。 国際保健技療学会講師。 |
昭和45年(1970) |
看護学校卒業後、順天堂大学病院に勤務。近代医学を学ぶ。 |
昭和54年(1979) |
娘の病気をきっかけに、東洋医学を中心とした学習を始める。 |
昭和56年(1981) |
横浜を拠点に、沼倉を中心とした主婦仲間4名と共に食事や健康補助食品を中心とした健康づくりの運動を始める。看護師経験を活かし、血圧計と経絡測定器を自転車に積んで戸別訪問。美養法の礎となる「経絡測定」をはじめる。 |
昭和58年(1983) |
森下敬一医学博士の主宰する森下フードコンサルタントにて食事改善の道を学ぶ。松本英聖保健学博士主宰の国際保健技療学院にて東洋医学を学ぶ。 |
昭和60年(1985) |
横浜だけでなく、都内や埼玉、静岡などを中心に「食と体質」をテーマとした講演活動を開始する。 |
昭和63年(1988) |
療術師の資格を取得。伝統療法と予防医学を学ぶ。『療術院 美養(サロン美養の前身)』を開業し、食事指導を中心として、光線療法や温熱療法を行なう。経絡測定と食事を基本にした体質改善指導の結果、顧客の受胎率が高まり評判となる。 |
平成5年(1993)〜 |
ケアに訪れる者や講演依頼が全国から集まるようになる。
株式会社美養を設立。健康づくりの為の安定した製品供給体制の確立を図る。
CS研究所において温熱療法を学ぶ。自律神経や筋肉の緊張緩和の具体的な技術を確立。
講演を通じた啓蒙活動が本格化。保険会社や生協、主婦の勉強会などで、食の大切さを説く。
予防医学を目的とし、沼倉が修得した現代医学と東洋医学の長所を生かした健康法や補助食品の研究機関として生命情報研究所を設立。美養法による人材育成プログラムを開始。今まで美養法として実施されてきた内容を学習教材の形に整理。
アメリカ:サンフランシスコにおいて開催された、第6回世界中医学会に客員教授として招かれ、北米を中心とするドクター達を対象に美養法の理論と実践を講演。
美養法サロンを、横浜をはじめ全国に本格的に展開開始。
国際保健技療学会 技術講師に就任。
IOU統合医学部講師に就任。医療機関関係者や中高校生、旅行代理店や保険会社を対象に、高齢者疑似体験学習や家族による介護法、介護者・介護者の心のケア方法指導、高齢者の身近な健康法としての美養療術指導など、生涯学習事業へ積極的に取り組む。 |
平成16年(2004) |
シエルドマリ美養スクールを開校。美養法による次世代人材育成を目指す。卒業生は独自の修得理論と技術により、高齢者施設や健康教室、エステ、介護予防の分野でも高い評価を受けている。 |
|
|